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2005年01月25日
シロギスの涙と僕の恥
最近、漫画を読まなくなったなぁとつくづく感じる。昔は漫画小僧で、漫画ばっかり読んでいて、よく叱られたものだ。
もちろん小学生の頃はお金なんかあるわけなく、友達の家に寄ってはみんなで回し読みした。
その頃は超大作が多く、毎週ホントに楽しみだった。続きはどうなるだろうと、みんなで推理しあった。その中で、今日話するのは「釣りキチ三平」だ。
昨年から「釣りキチ三平Classic」として、月2回雑誌が刊行されており、毎回買っている。もうこれで41号目だ。その中でもっとも読みたかったのは、現在連載されている「シロギスの涙」だ。
「シロギスの涙」は、釣りの話ではない。無名島と呼ばれるところで行われるキャスティング大会の話だ。投げ竿とリールを使って、より遠くへおもりを飛ばす大会だ。
僕らも漫画のまねをした。僕らの住んでいる家の近くには大きな池がある。学校が終わると、そこへ集合して、おもりの飛ばしっこをやった。正確に距離を測ったわけではないが、そこは感覚で済ませた。なにしろ、池に向かって飛ばしているのだから測りようがない。
僕は釣り竿を持っていなかったので、友達の竿を借りてやった。友達のおもりを何個無くしたことか。力を入れすぎて、糸を何度も切り、おもりも一緒に飛ばされていった。ルアーも無くしたこともあった。ゴメンよ、と謝りながら、それでも一緒に楽しんだ。チョットしたブームだった。
今回、そのシロギスの涙が連載される事になって、懐かしさでいっぱいだった。
...が、今回読んでみて初めてわかった。なんとテーマの重いことか。キャスティングというのはなんて危険なことだったのだろう。安易にまねをしてはいけないという暗示だった。僕らは危険な行為を犯し、自然を破壊していたことは言うまでもない。
昔の漫画は何かしら道徳観みたいものがあった。それが大作と言われる由縁だろう。
今回、改めて漫画を読んで、子供の頃には気づかなかったという恥ずかしさを感じた。更に、自然を大切に訴える「釣りキチ三平」は子供らの教科書だなとつくづく感じた。是非、ご一読を。
Posted by hiroshi_jp at 23:36 | Comments (1) | TrackBack
2004年09月30日
お金の行き先は本屋…
日記、3連続!! 珍しいこともあったモンだ(^^)。自分で言ってりゃ世話無いですね。
今日は、とっても疲れたので、8時に仕事を切り上げました。しなくちゃいけないことは山ほど有るんですけどね。
そんな時は決まって本屋へ行く。僕は立ち読みの王者だ。…とはいっても、勿論たくさん買っているんです。良い本、面白そうな本があるとつい…。結構お金使っちゃうんです。
今日は、昨日話した"WebCreator"の発売日。会社でも買ってるんですけど、全く読んでいる暇がないので、家でじっくりと…。以前は、会社のを持ち帰って、写経のようにノートに写していたんですけれど、続かなくなりました(×_×)。それなら買った方が、会社を辞めても自分のモノだし、なんてね。でも結構高いんですよ。これが。まあ、個人の財産として、我慢して買ってます。1年も経つと情報は古くなるんですが…(>_<)ヽ 。
そして、もう1冊、"2004ファンタジスタ50"。サッカー本です。衝動買いしちゃいました。というか、”World Soccer Digest”関係の本は必ず買っています。創刊号から今まで全部揃っています。もう本棚いっぱいで、押し入れに山積みになっていますね(^^)。"World Soccer Magagine"は3年前ぐらいから買っています。もう、サッカー本だらけ。W杯やEUROが近づくとさらに出費が増えますねぇ。両方とも月2回刊だし、相当お金使ってます。
もちろん、サッカー本だけじゃなく、小説や雑誌、デザインからWeb関係のテキスト本、もちろん漫画まで…。
僕の漫画好きは以前書きましたが、山のようにあったので、一度売っちゃいました。また読みたくなって後悔してるんですけどね。置き場もなく、ついつい。
で、今日は、"浦沢直樹"の"PLUTO(プルート)"の発売日。地方なので、書店に並ぶのは明日なんですけど。手塚治虫の鉄腕アトム"地上最大のロボット"をもとに書いた物語。
こいつがくせ者で、"豪華版"と"廉価版"の2種類が同時発売なのだ。豪華版は、雑誌掲載時と同じB5判の特大サイズ、カラーページををすべて再現している。おまけに手塚治虫の"地上最大のロボット"も掲載されている。手塚治虫のソレは持っているんだけど、限定品や豪華版に弱い僕…。なんで1,800円もするんだぁ〜。。゛(ノ><)ノ ヒィ。
悩んでいる最中である…。夢に出てきそうだ…(__).。oO
Posted by hiroshi_jp at 22:56 | Comments (2)
2004年07月29日
出会いはいつも初版の残り1冊
昨日の日記の通り、会社帰りに早速"ジダン本"を買いに行った。内容が、小・中・高校生向けか、チョット内容が安っぽい。サッカー少年たちよ、これを読んで是非"マルセイユ・ルーレット"をマスターしてくれ!! みんなが"マルセイユ・ルーレット"していたりして…。グラウンド中みんながくるくるくるくる(@_@)。流行りそうですな。
その本とは別に"砂浜"という小説を見つけた。著者は"佐藤雅彦"氏。僕の尊敬する人で、"ポリンキー"や"バザールでござーる"などのCMディレクターです。
今やCMに限らず、いろんな分野で大活躍!! ネットの世界でも"ねっとのおやつ"や慶應義塾大学佐藤雅彦研究室としての"日本のスイッチ"など、いろいろと面白い仕掛けを考える。
この人尊敬するところは、持って生まれたセンスだ。出来そうで、誰も真似できない。頭の中で"クリック"と鳴ったひらめきで行動する("クリック-短編集"より)。
そしてなぜか、この人の本は目に付く。ふらっと立ち寄った本屋で、目当ての本が他にあるのに、ついつい出会ってしまう。"毎月新聞"しかり、"日本のスイッチ"しかり、"砂浜"しかり…。
しかし、なぜかいつも1冊しか置いてない。1ヶ月程経つとベストセラーになり、重版が出来、ドンと山積みにされるのだが…。僕と佐藤雅彦氏の出会いは、なぜかいつも初版の残り1冊。もちろん昨日も購入しました。
まだ読んでいないが、今回も初の小説ということで楽しみにしています。
お分かりでしょうが、佐藤氏はあの"だんご三兄弟"の生みの親である。NHKで"だんご三兄弟 あっという間劇場"と言う番組をやっていました。TSUTAYAのビデオレンタルで見かけたが、恥ずかしくて借りられない(#^.^#)。"おかあさんといっしょ"ってヘッダーに入ってますモン…(*^。^*)。
いつか、子供連れて借りに行こうと思います。小学生でも、嫌がるかなぁ?(・_。)?
Posted by hiroshi_jp at 16:42 | Comments (0)
2004年07月22日
読書とBlog
昨日は、長々と思いつくまま書いてしまった。日記とはいえ、やっぱり文章は難しい。えらそうに"本を読め!!"なんて書いて、近頃僕自身本を読んでいない…。
昔はよく読んだ。会社の昼休みにまで読んだ。村上龍の「トパーズ」かなんかのエッチなシーンでさえ、みんなが集まる会社のロビーで読んだ。
そこまで熱中したのには、あるひとつのきっかけがあった。
とある飲み会で、久しぶりの休みに東京から帰省した年上の女性がいた。同じく、もう一人、年下の女性も東京から帰省していた。二人ともデザイナーで、昔一緒に仕事をした仲間だった。
飲み会の話題はいつしか読書の話へ…。二人の会話は「アレ読んだ?コレ読んだ?」。あの頃は、村上春樹の"ノルウェイの森"なんかが流行っていた。本をほとんど読まない自分にとっては、東京に被れた二人の会話だと思っていた。
が、そうではなかった。二人とも電車通勤で、2〜3日で1冊の本を読むという。そういえば、東京ではそういった光景をよく目にする。
驚いたのはボキャブラリーの広さだった。二人とも一緒に仕事をしていた頃に比べると、何倍も賢くなって見えた。小説に対して語るその姿は、うんちくというものではなく、決してイヤミでもなく、創造性・感受性の豊かさだった。話をしていてすぐにそれは感じ取られた。
単純だが、それ以来、僕は本を読むようになった。彼女らに負けたくないという気持ちと、そういった感受性を共有したいと思う気持ちと。その中に、"69-sixty nine"もあった。
あれから何年も経ったが、最近また本離れが続いている。
Blogに日記を書くようになってまた思った。僕は文章が下手だな。もっと本を読まなきゃ。
Posted by hiroshi_jp at 16:05 | Comments (0)
2004年07月21日
映画"69 sixty nine"
タイトルは"映画69"だが、映画の感想を書くつもりは一切ない。もちろん、映画も見ていない。僕がお勧めしたいのは「原作を読んで欲しい」ということだ。
僕が原作を読んだのは、文庫本初版だから1990年、いまから14年も前のことだ。村上龍氏の自伝的小説だ。読み終わったあと、この本は僕の青春のバイブルとなった。ケンとアダマの青春群像に虜になったし、逆に大人達(先輩や上司)の青春はきっとこんなだったろうと尊敬の念をも持った。
ランボー、ゴダール、ツェッペリン、ヴェルベット・アンダーグラウンド…知らない世界だったが、求めていたものは同じだと感じた。
僕の勤めていた会社は、毎年夏になると"大花火大会"を行っていた。そう"フェスティバル"だ。僕らはバンドを組み、花火をバックにへたくそな演奏で、怒鳴り声で歌いまくった。誰も知らないパンク・スカ・ニューウェーブを歌って客をガッカリさせた。僕らなりに、それはそれでかっこいいと思っていた。ケンと同じように、青春を謳歌していた。
そんな花火大会は4〜5年続いただろうか。規模は年ごとに大きくなり、やがて100人以上のお客が来るようになった。設備は良くなったが、僕らの演奏は上達もせず、相変わらずだった。それでもフェスティバルは楽しかった。
やがて、社員の人数も増え、花火大会の企画会議まで開かれるようになった。その時点で"フェスティバル"は終わり、"イベント"へと移行していった。バンドもセミプロのロカビリーバンドが呼ばれ、僕らはビールの調達やゲームの調整に追われるようになった。そして、その年で大花火大会は消滅した。
そんな花火大会をこよなく愛し、花火師の免許を取って、三尺玉をどっかんどっかん打ち上げていた上司は、まぎれもなく"69"の人だった。毎年、消防署に怒られ、始末書を書かされ、それでもハハハと笑っていた顔は、ケンを思い起こさせた。
Posted by hiroshi_jp at 23:52 | Comments (1)